「大名小路絵図」に見る江戸から明治へ
尾張屋は、嘉永2年(1849)から文久3年(1863) までの14年間に32 種の江戸切絵図を板行し、販売を辞める明治3年(1870)までの21年間に新・重板した合計は138回にもなります。
最後の新板である「霊岸嶋八町堀日本橋南絵図」(文久3年)を板行した5年後の慶応4年9月に、時代は江戸から明治へ移ります。
江戸城下の武家屋敷の識別を主な目的として製作・販売されてきた“江戸切絵図”は、その役目を終える時がきました。↗
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尾張屋は明治3年まで切絵図の重板・販売をつづけますが、絵図の内容には社会の変化が敏感に表れています。
下の2枚の絵図は江戸時代の幕閣たちの上屋敷が集まる「大名小路絵図」の最初の板①と最終板②です。
①は嘉永2年(1849)板、②は20年後の明治2年(1869)板です。2枚の大名小路絵図の変わりようから、江戸から明治へ移っていく社会の流れの一端が見えてきます。下記参照
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