岩橋美術発行 複刻 江戸切絵図 全32図 参考資料
「江戸切絵図」の終焉
江戸切絵図の
江戸切絵図から消えた“徳川葵の朱紋”

尾張屋板の江戸切絵図には、板行当初は大名家上屋敷の正門の位置に朱の家紋が入っていました。それが濃彩色で見やすくなった絵図を一層華やかにし、江戸人の人気を得た原因の一つでもありました。(注1)


尾張屋は安政4年に、それまで板行した28図中の23図を一気に重板して全28図(26図説もあり)のセット販売をかけますが、安政6年の「葵御紋使用禁止令」により、その後の絵図では御三家の尾張、紀州、水戸殿、御三卿の田安、一ツ橋、清水殿、さらに徳川家直系と思われる松平姓の上屋敷の一部も無紋屋敷になっていきます。(注2)


注1:嘉永2年板「御江戸大名小路絵図」初刷では、大名家上屋敷に墨の家紋が入っています。岩橋美術『復刻 江戸切絵図1』(下図1)、中央公論社刊『江戸切絵図集成』第四巻。
注2:安政4年改正新刻の「音羽絵図」の尾張殿や安政5年再刻「東都番町大絵図」の田安家では朱紋がすでに削られています。中央公論社刊『江戸切絵図集成』第四巻。人文社『嘉永・慶応 江戸切絵図

尾張屋板「大名小路絵図」の初板(左図 嘉永2年・1849)と、最終板(明治2年・1869)
 
1 尾張屋板「大名小路絵図」の最初の板 嘉永2年(国会図書館蔵) 
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  2 尾張屋板「大名小路絵図」の最後の板 明治2年改正再版 (個人蔵) 
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尾張屋板“江戸切絵図”江戸から東京へ、

尾張屋は、嘉永2年(1849)板行の「大名小路絵図」「築地八町堀日本橋南絵図」から文久3年(1863) 板行の「霊岸嶋八町堀日本橋南絵図」まで、14年間に32種の江戸切絵図を次々に出していきます。

しかし、文久3年の5年後の慶応4年(1868)9月8日、 時代は江戸から明治へと移ります。それとともに武家社会は崩壊し、江戸城下の武家屋敷の識別を主な目的として制作された“江戸切絵図”は、その役目を終える時がきました。

それでも尾張屋は明治3年まで切絵図を出し続けますが、明治に入ってから重板した絵図には社会の変化が顕著に表れてきます。

例えば「大名小路絵図」で見ると、慶応元年板では大名家の上屋敷に付いていた御紋が無くなっているのが数家見られるようになるのは上述しましたが、最後の板になる明治2年板(上図2)では、お城北の丸の主要地を占めていた御三卿の田安殿、淸水殿の名が黒く塗り潰されています

また、西御丸下の内桜田に集中していた老中、若年寄など江戸幕閣の上屋敷は、明治2年板では報恩隊、御陣隊、軍務官といった明治政府の機関名に改称され、呉服橋御門の北町奉行所は「刑法官」、数寄屋橋御門の「南町奉行書は「執次巳」になります。

次の3図は文久2年と3年に板行された切絵図の板元尾張屋の住所表記です。
八町堀細見絵図 文久2年板の奥付     「江戸麹町六丁目 金鱗堂 尾張屋清七板」
内藤新宿千駄ヶ谷絵図 
文久2年板の奥付  「東都麹町六丁目 金鱗堂 尾張屋清七板」
霊岸嶋八町堀日本橋南絵図 
文久3年板の奥付  「麹町六丁目 金鱗堂 尾張屋清七板」

これらのことから、明治に向かって時代が動いて行くのに歩調を合わせて、江戸切絵図でも社会の動きに即した様々な変更が行われていたことが見て取れます。



明治に入ってからの尾張屋板“江戸切絵図”

明治に入ると尾張屋は、各絵図の題箋の頭に「東京」を付けて“東京切絵図”の感じを出しながら板を重ねますが、地図の内容は旧板のまま販売したのもあったようです。

①明治元年  外題「東京市街京橋南築地」    内題「京橋南築地鉄砲洲絵図」旧板のママ
②明治二年  外題「東京大名小路桜田内」    内題「御曲輪内大名小路絵図」旧板のママ
③明治三年  外題「東京市街今戸浅草山谷」   内題「今戸箕輪浅草絵図」旧板のママ
④明治三年  外題「東京御郭外高輪白金辺図」 奥付は文久三年  内題「芝三田二本榎高輪辺絵図」旧板のママ

明治3年になると、上記④のように「明治三年」の刊年が無く、旧板のママの「文久三年」の刊記のママで販売されたのも見られます。
このように尾張屋は明治3年まで種々の工夫を加えて東京切絵図を出し続けますが、明治4年以降は板行した記録を見つけることが出来ませんでした。

尾張屋は、明治元年から3年までに合計28図35回重板を出した後、江戸地図の舞台から消えていきます。


                                   
嘉永2年(1849)から明治3年(1870)までの20年間に、尾張屋が板行した江戸切絵図の新・重板の合計は137回を数えます。1回の刷り枚数を300枚程度と仮定した場合、おおよそ40,000枚余りの江戸切絵図を世に出したことになります。


参考文献 『江戸図の歴史 「別冊・江戸図総覧」 飯田龍一 俵元昭 築地書館 1988
      『江戸切絵図集成』第4,5巻 尾張屋板 斎藤直成編 中央公論社 1982
      『嘉永・慶応 江戸切絵図』尾張屋清七版 人文社 1995

文責・岩橋美術 岩橋文武 2016-2020©



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   参考絵図 大名小路絵図 慶応元年(個人蔵)
既に大名屋敷の幾つかは家紋が削られたり、「歩兵屯所」などに改称されています。
黒塗りされている大名屋敷はまだ見えません。
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